1万年前から日本と大麻に深い繋がりが!?大麻と日本の歴史と関り

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日本でも古来より、大麻は、衣類、油、食用、伝統工芸、縄など様々な場面で使用されてきました。日本にも多くの大麻農家がいましたが、戦後のGHQや大麻取締法の影響を受け、その数は今や少数です。今回は簡単な日本の大麻の歴史と関りを紹介していきます!

大麻とは?

日本での「大麻」のイメージは「麻薬」「マリファナ」が多いかと思います。大麻は多くの読み方、意味がありますが、この記事では「植物としての大麻」として紹介していきます。

大麻は中央アジア原産とされるアサ科アサ属で大麻草(たいまそう)とも呼ばれる一年生草本です。人類が栽培してきた最も古い植物のひとつとして1万年を超える歴史があります。

茎の皮の植物繊維は、麻繊維として麻紙や麻布、神道においては神具などに使用され、実(種子)は食用や生薬の麻子仁(マシニン)として、大麻の実の油は食用や燃料など、成分を医療にと様々な形で用いられてきました。

伊勢神宮の神札の「大麻(オオヌサ)」と呼ぶ由来となった植物であり、実生活に重要な三種の草という意味で、紅花(べにばな)・藍(あい)とともに「三草」のひとつに数えられ、米と並んで主要作物として古来より盛んに栽培されてきたものです。

一年生草本とは
種子から発芽して一年以内に生長して開花・結実して、種子を残して枯死する植物のこと。
※大麻についてはこちらの記事を合わせてお読みください。

日本と大麻の歴史

現在では、大麻取締法にとって大麻のイメージは「薬物」「麻薬」「マリファナ」といったものが多く連想されると思います。

しかし、日本と大麻につながりは古来よりあり、人々の生活になくてはならないものでした。

弥生・縄文時代の大麻

大麻はもともと中央アジアが原産であり、1万2千年前から栽培されてきたと言われています。日本では縄文時代の、現在の福井県にある「鳥浜貝塚」から「麻縄」が出土しており、約1万年前から大麻との関りが始まったとされています。

現在でも麻・ヘンプ(Hemp)繊維として衣類の原料に使用されますが、古くからは、しめ縄、下駄の鼻緒の芯縄、漁の網等に人々の生活の一部として用いられていました。弥生時代の遺跡からも、大麻で作られた織物が発見されています。

伝統的な麻の葉模様

現在でも様々な場所で見つけることができる麻の葉模様も、その名の通り、大麻の葉の形・模様がモデルになっています。

大麻の葉をあしらった図柄は、日本の伝統的な文様であり、平安時代には仏教の尊像の衣服の図柄に使われており、江戸時代には着物の流行の図柄となっていました。

赤子の産着としても定番の柄として使用され、麻のようにまっすぐよく育つようにという意味が込められています。現在でも建物の装飾や、食品やお菓子のパッケージ、家紋や神紋、それ以外にも伝統工芸など、様々な場面で図柄として使われています。

江戸時代以降から戦前、戦後

江戸時代になる以前は、灯りを取るための油として、また庶民の普段着や仕事着の素材として使われてきました。しかし、江戸時代になると大麻の繊維が、木綿にとって代わられ、明治時代末期から大正時代にかけて、海外からの他の繊維も多く輸入され、大麻の栽培産業自体も縮小していきました。

戦前までは繊維としての使用が一般的であり、他には「大麻チンキ」と呼ばれる薬としても使われてました。戦後にGHQが入り、1948年に大麻取締法ができて以降、嗜好用としての大麻という認識がされ始めました。戦前の大麻栽培面積は1万~2万ha(東京ドームは4.7ha)ありましたが、戦後の大麻取締法の制定や、栽培自体が免許制となったこと、継承問題、大麻が麻薬としてネガティブなイメージを持っていることなどの理由から現在では約5haと戦前から比べると数少なくなっています。

日本の大麻「とちぎしろ」

現在、大麻に対する再評価による合法化や非犯罪化の流れから、世界中のいたるところで大麻栽培は行われています。

実は日本では大麻栽培が行われている地域が複数あり、そこでは日本独自の品種が栽培されています。

日本の大麻栽培と大麻泥棒被害

日本の大麻栽培は、戦前は1~2万ha、昭和20年代のピーク時には3万ha以上の国内での大麻栽培面積があり、栽培農家は4万人弱いました。古来より大麻は主に繊維の原料として栽培されており、神社でお祓いする時に左右にふる神具(大麻・おおぬさ)や神社のしめ縄、弓弦、小鼓等古典芸能の楽器、横綱の化粧回しなどに使われ、歴史的にも大麻は人の生活の身近にあるものです。

嗜好用の大麻としての認識は栽培する農家の人も無かったようですが、栽培地では昔から、麻畑に入ると何となく頭が痛くなることがあり、これは「麻酔い」と呼ばれていました。

薬物としての大麻の原料としての認識が広まったのは戦後にGHQが日本に入り、「大麻取締法」ができて以降です。この時から大麻の「陶酔」「多幸」といった感覚を得るために大麻泥棒の被害も始まりました。

日本の在来種の大麻は、THCの含有率が1%前後と低いものが多かったのですが、1950年頃より海外より来た違法栽培の大麻と交雑し、在来種のTHCの含有率が高くなってまいました。これに加え、70年代のヒッピーを代表するカウンターカルチャーの影響を受けたことにより、1974年頃には大規模な大麻の盗難が相次ぎました。

日本国内の一大生産地であった栃木県内でも大麻泥棒の被害が多く、朝早くからの農作業に加えて、泥棒対策の為に夜通し監視をすることはかなりの負担だったそうです。

そこで1982年に開発されたのが「とちぎしろ」という品種でした。

無毒大麻「とちぎしろ」

もともと栃木県では「白木」「赤木」「青木」という在来種があり、高品質の「白木」が多く作られていました。しかし、これらにもTHCの成分がわずかに含まれていることにより、ここでも大麻泥棒が問題となっていました。

そこでTHCの含有量が低い品種を作るために1974年から品種改良が行われ、品質のいい「白木」に、無毒の在来種をかけあわせ、8年の歳月をかけて1982年に低THCの国内産の大麻が完成しました。これは「とちぎしろ」と名付けられ種苗登録されました。

「とちぎしろ」は別名、無毒アサ・無毒大麻と呼ばれています。「とちぎしろ」の特徴は、大麻の成分で精神活性作用のあるTHCの含有量が0.2%と低く、世界的なヘンプ(産業用大麻)の基準であるTHC含有量0.3%以下にも対応する数値となっています。

品種が誕生した後、1985年には栃木県内全域の大麻が「とちぎしろに」に切り替わり、種は今でも厳重に管理され、基準を超えるTHCが含まれていないか毎年検査されています。現在では大麻栽培農家は約5haまで減少し、そのほとんどが栃木県内にあります。

まとめ

今回は日本の大麻の歴史と関りについて紹介させていただきました。大麻は皆さんの多くが「麻薬」「マリファナ」というイメージをもっているかと思います。

しかし、世界的に見ればアメリカの複数の州では医療用、嗜好用ともに大麻が合法となり、カナダやウルグアイでも国家単位で合法となっています。ヨーロッパでも大麻の少量の所持や使用は非犯罪化になっているなど、このように大麻に対する見方が変わっています。

個人的にも医療における大麻の使用に関しては議論の余地が十分にあると思います。日本と大麻の関りはの歴史的にも深いものなので、今後近い将来改めて、「麻薬」としてではない「大麻」にスポットライトが当たる日が来るかもしれません。

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